hanakosaanのブログ

猫と暮らす日々を気ままに書いてます。

天秤。

こんばんわ。hanakoです。

 

 いつもの生活に戻り

 今日は花屋さんのお店番。

 

 今日は雨の予報だったけれど

 どうやら雨は降りそうにもない。

 中途半端な曇り空。

 こういう日は水やりに迷う。

 

 
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 最近やって来る八割れくん。

 どうにも猫とは縁が切れないみたいだな。

 しかも我が家の猫と同じ柄😅😅😅

 マサくんに似ている。

 

 やたらと噛み付いてくる。

 親愛の表現らしいのですが

 痛いんだよ💢💢💢

 

 

 レジの準備をしていると

 

   hanakoさーん。

 

 外で男の人が呼んでいる。

 

 ??? あっ!!!

 

 そこに立っていたのは

 知人の旦那さん。

 

 以前ブログに書いた

 ステージ4の胃ガンの手術をしたひとだ。

 

 手術は成功し

 他に転移が無く1月の末に退院した事は

 聞いていた。

 

 お店の中に入ってきた旦那さんは

 思ったより病み上がりの感じが無かった。

 術後の経過の良さが感じられた。

 よかった。

 

  11キロ痩せちゃいました。

  筋肉が落ちちゃったのがちょっと悲しいなぁ

 

 病気になる前

 テニスをやっていた体はガッチリしていた。

 確かに足が細くなってしまったみたい。

 

  なかなかたくさん食べられなくてね。

  ゆっくり焦らず頑張ります。

 

 ニコニコとした顔には手術を乗り越えた喜びが

 溢れているようにも見えた。

 

 よかったね。

 あなたはまだ死んじゃいけない。

 まだまだ生きなくてはいけないんだよ。

 

 

 せっかく助かった命なんだから

 大切にしなくちゃ。

 

 帰り際にかけた

 私の言葉に戸惑いを隠せない旦那さん。

 素直に受け入れられないんだな。

 

 彼はある宗教団体の信者だ。

 自分の命は神の物。

 死さえも厭わない。

 

 だから

 私の言葉が怖かったんだ。

 いや違う

 彼は病気を経験して

 自分の命を愛しく思ったんだ。

 だから私の言葉を否定できなかった。

 

 そんな自分に戸惑いを感じた。

 そんな顔をしていた。

 

 自分の命が天秤にかかった時

 ひとは初めて本当に目に見えない物と向きあうの

 かもしれない。

 

 神は存在するのか。

 信仰とは自分の命を懸けられるものなのか。

 

 5歳の時から私はその答えを待っている。

 神との約束はまだ果たされていない。

 

 

 どこかの宗教団体に入り

 信者を増やす事に励む事が信仰の表明。

 神だと名乗る人間を何の疑いもなく崇める。

 財産をすべて捧げるのが信仰の表明。

 そんなレクリェーションのような

 信仰は私はいらない。

 

 

 神が存在するのなら

 何を経由するのではなく

 私に示して欲しい。

 自分の存在をハッキリと私に見せて欲しい。

 

 それが冒涜だと言うのなら

 私は神など忘れよう。

 

 

 忘れていた

 何かが呼び起こされた。

 

 心の奥底に閉じ込められていた

 何かが。