hanakosaanのブログ

猫と暮らす日々を気ままに書いてます。

死体遺棄。

こんばんわ。hanakoです。

 

 昨日の父親の襲撃で

 書くタイミングを逃してしまった話し。

 

 今日 書こうと思います。

 

 一昨日のももはなさんのブログを読んで

 思い出した事です。

 ちょっと鮮度が落ちましたが 

 やっぱり書いておこうと思います。

 

 

 私は1年位屠場(とじょう)に出入りした事があります

 屠場とは食肉処理場とも呼ばれています。

    牛や豚が食肉になる1番最初の段階を行う場所です。

 

 なぜそんな所へ出入りしたのかと言うと

 母親の妹 つまり私の叔母は

 畜産関係の会社を経営していて

 そこで事務を手伝う事になったからなのでした。

 

 

 お昼近くになるとその日の取引数を伝票にして

 業者さんに渡しに行きます。

 それが私の仕事でした。

 

 私は屠場に行くのが大嫌いだった。

 

 屠場を歩くと

 たくさんのトラックが停まっています。

 その中には牛や豚が乗っていました。

 トラックの横を通ると

 彼らが一斉に私を見ました。

 そのたくさんの眼が怖かった。

 怖かったと言うより悲しくて見られなかった。

 

 何より嫌だったのは

 お昼近くに屠場に行くと

 各業者さんの事務所ではお昼ご飯を作っています。

 もつ煮やホルモン焼きがほとんど。

 とれたてというやつ。

 

  おーい 食べてけよー!

 

 私の会社の事務所から声がかかります。

 私はいつも逃げるように帰ってしまっていた。

 

 会社に帰ると枝肉がぶら下がっている

 その横の事務所で1日仕事をする。

 

 なんとも耐え難い環境だったのでした。

 

 ある日工場長が

 馬の肉をお昼ご飯にしてくれました。

 訳あってお肉になる事になった馬。

 きちんとカツレツにしてくれた。

 

 クセもなく美味しいお肉でした。

 ただ 切り口が妙に赤かった。

 馬肉はほとんど脂肪がなく赤身なので。

 それが唯一の他のお肉との違いだった。

 馬のお肉だとハッキリわかる。

 

 私が躊躇していると

 いつも私に優しい工場長が厳しい顔をして

 

  死にたくもないのに命取られて

  今度は食べてももらえなくて

  捨てられるのか?

 

  最後は死体遺棄かよ。

 

 カツレツを食べながらそう言いました。

 

  

 可哀想では片付けられない現実。

 その時私は思い知らされた。

 命を食べるとはこういう事なのだと。

 自分が生きる為には何かの命を犠牲にして

 いるのだと。

 

 友人と水族館に遊びに行った時

 フードコートに回転寿司がありました。

 

  海のそばだから

  きっと魚が美味しいよ!

 

 みんな回転寿司に吸い込まれて行きました。

 今 何を観てきたの?😅😅😅

 

  美味しいねー!

 

 巨大水槽に泳いでいたアジを

 

  かわいいねー!

 

 と言っていた同じ口がアジの握りを食べている。

     誰も不思議には思っていない。

 水槽の中のアジと目の前の握りのアジは

 いったい何が違うの?

 

 綺麗事は言えないのだ。

 可哀想は言ってはいけない

 食べる事は矛盾だらけなのだと

 私はその時思ったのでした。

 

 

 あれから

 工場長の教えをしっかり守り

 私は死体遺棄をしないようにしています。

 

 自分の食べられる物を食べられる分だけ買って

 無駄なく食べる。

 野菜もなるべく捨てる部分がないように

 気を付けています。

 だからお刺身は大根のツマが付いている物は

 買いません。

 ツマの大根は食べきれないから。

 

 大根は捨てられる為に大きく育った

 訳ではないのです。

 

 それが私なりに命を大切にする事だと思っています

 

 自分が食べた命を自分が一生懸命生きる事で

 無駄にしない。

 

 命を食べて生きて行く者の務めだと思っています。

 

 

 これから夕御飯です。

 

 

 いただきます。