hanakosaanのブログ

猫と暮らす日々を気ままに書いてます。

自由なんだ。

こんばんわ。hanakoです。

 

 岐阜県多治見市で40.7度が観測された日。

 私が仕事場にしているハウスは41度だった。

 

 どうだ!( ̄^ ̄)

 と 威張っている場合ではない。

 

 ボクの呼吸が荒い。

 木の下へ行けばいいのに。

 そういう時にかぎってハウスの中で寝ている。

 命の危険を感じなさい ( ̄^ ̄)

 

 

 どうにも最近イライラする。

 暑くて不快なのはわかるけれど

 それだけではない憤りの混じった嫌な感じ。

 

 なんだろう?

 

 今日 やっとそれが解った。

 

   あんたしか頼れる人がいない。

 

 裏に住むおばさんの言葉だ。

 

 私はこの言葉が大嫌いだ。

 私はこの言葉にずっと苦しめられたから。

 

 

 機能不全の家庭に育った私。

 父親や姑と上手く行かないと

 母親は私にこの言葉を使った。

 

  あなただけが頼り。

  あなたがいればママはしあわせ。

 

 

 私は悲しむ母親を喜ばせようと小さい大人になった

 母親の要求を満たそうと必死だった。

 

 どんな無理も嫌とは言わなかった。

 

 小学校の時

 毎朝家の掃除をしてから学校に行くように

 決められた。

 

  あなたの為に頑張っている

  ママを助けて。

 

 家の掃除 洗濯 犬の散歩。

 母親の要求はだんだんと増えていった。

 家事を全てやる時間を計算して

 起きる時間を決められた。

 

  あなただけが頼り。

 

 この言葉に私は縛られて行った。

 

 私がいなくては母親はしあわせではないのだ。

 私が頑張らなくては。

 

 そう思っていた。

 自分の要求を優先しない時に怒り出す

 母親が嫌でたまらなかった。

 

  私が困るのが解らないの?

 

 罪悪感を植え付けられた。

  

 小学3年生。

 9歳には重い荷だったと思う。

 

 

 しかし

 母親が再婚した時。

 その言葉はひっくり返った。

 

 母親は私を忘れてしまった。

 私は連れ子として隅に追いやられた。

 新しい父親や親戚に好かれるため

 母親は必死だった。

 

 私が頼りじゃなかったの?

 

  新しいパパに嫌われるでしょ?

  嫌な子ね。

  いい子になりなさい。

   

 私は裏切られたと思った。

 

 

 以来

 私と母親の関係は

 母親が亡くなるまで健全にはならなかった。

 

 母親の未熟さが

 大人になった今の私には理解できる。

 

 でも

 子供の私には理解できなかった。

 

 ひどく傷ついた私は

 この言葉を聞くと心が痛んだ。

 

 克服したと思っていたけれど

 まだ引きずっていたんだな。

 

 

 

 裏のおばさんも

 母親に似た所がある。

 

 本人は私が気づいていないと思っているのだろう

 しかし 私を利用して

 自分の要求を満たそうとしているのが見える

 内縁の男性が自分の思う通りにならないと

 私にこの言葉を言う。

 

 

  あんたを娘みたいに思っている。

  あんたが頼りだ。

 

 家族のように思っている。

 それほどあなたを信頼している。

 言われるとうれしい言葉かもしれない。

 

 幸か不幸か

 子供の頃の経験から

 私はそんに鈍感ではないんだよ。

 

 ひねくれているともいえるかもしれないけれど

 ごめんねおばさん。

 私は他人と家族ごっこはしないよ。

 

 子供の頃の私じゃないんだ。

 頑張らなくちゃとは思わないんだよ。

 

 

 そろそろこの言葉とも決別しなくてはならないね。

 

 今度 おばさんがこの言葉を言ったら

 ハッキリ言おう。

 この言葉はやめてくれと。

 

 

 

 私はもう 誰にも縛られない。

 

 

 私は 自由なんだ。