hanakosaanのブログ

猫と暮らす日々を気ままに書いてます。

不器用。

こんばんわ。hanakoです。

 

 夕方から雨になりました。

 

 雨の音を聞きながら

 父親の事を思い出していました。

 

 私の血を分けた父親。

 

 普段は思い出す事もないひとだけれど

 昼間友人と話したからなのかな。

 

 

 

 東京の立川市で生まれた父親は

 アルコール依存症だった。

 

 早くに父親を亡くして

 愛人として自分を養った母親に

 反発したのだろう。

 若い頃からアルコールとギャンブルにのめり

 込んだ。

 

 私が10歳の時に

 仕事が出来ない位になり

 母親は父親と離婚した。

 

 以来私は1度も父親と会った事がない。

 

 

 離婚をしてから

 遠洋漁業の船に乗った。

 相変わらずアルコール依存症は治らず

 体を壊し

 那須サナトリウムにいたらしい。

 

 そこを出てから

 神奈川県の清川村に流れつき

 生活保護を受けながら生活していた。

 生活保護のお金もほとんど飲み代に消え

 そのお金を狙った

 飲み仲間だったホームレスに暴行され

 命を落とした。

 

 本当に最低の人生だったな。

 

 幼い頃

 私はことある毎に父親の悪口を言う母親の影響で

 父親を悪人だと思い込んでいた。

 恐れてもいた。

 

 でもそうだったのかな。

 

 

 部屋に入ってきた蠅を

 赤ちゃんだった私に悪いからと

 叩こうとした母親をたしなめた父親。

 

 蠅も生きているんだよ と。

 

 母親が買い物をする店に

 いつの間にかお金を払い

 好きな物を自由に買えるようにしていた。

 

 結婚した当時

 日本人離れした長身と容姿で

 高級百貨店のカタログモデルをしていた。 

 かなりの収入を得ていたらしい。

 

 そんなひとがなぜ破滅して行ったのか。

 

 自分の弱さもあっただろう。

 環境も。

 

 父親の収入を知って

 やっかいな取り巻きができた。

 

 そんな人達に呑まれても行った。

 

 バカだなぁ。

 なんで逃げなかったんだよ。

 

 

 

 那須サナトリウムにいた時も

 亡くなる寸前に清川村から連絡が来た時も

 

  娘がいるから。

 

 父親は私を連絡先に伝えた。

 

 会いたかったのかな。

 何を言いたかったのかな。

 

 大人になった今

 少しだけ父親の事が想えるようになった。

 

  

 あなたの人生はこれからろくな事はない

 そう吐き捨てた母親の言葉に

 

  俺はこれから泣くんだろうな。

 

 そう言うと

 雨の中 傘をさして

 駅の中に消えて行った父親。

 

 目立つ事を怖れて

 人より高い背を気にするように

 いつも背中を丸めて歩く後ろ姿。

 

 それが私が見た父親の最後の姿だった。

 

 

 確かに最低の人生だったね。

 

 

 自分でももてあましてしまった

 優しさや繊細さや弱さ。

 

 愚かにしか見えない生き方。

 でも

 こんな生き方しか出来なかったんだ。

 

 あなたの娘である私にはわかるような気がするよ。

 今 ならばね。

 

 ずっとボタンの掛け違いのような

 間違いだらけの人生だったね。

 

 

 たった1枚だけ残った写真。

 桜の下で父親が笑っている。

 

 穏やかな笑い顔が写っている。

 

 私によく似た目元が笑っている。